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富士重工業

1917年に海軍機関大尉中島知久平によって設立された民営の飛行機研究所が始まりで、1945年に富士産業と改められた中島飛行機は第二次世界大戦の後にGHQによって、航空機の研究・製造などが全て禁止されて財閥解体の対象となっていきました。1947年のスクーター・ラビットや1946年のボンネットバスなどの開発などを行ない、ラビット・シリーズは戦後の日本で成功して1968年まで製造され、1949年に日本初のモノコックボディ・リアエンジンバスであるふじ号で成功を収めます。1950年には、政策によって財閥解体されて15社以上に分割されてしまいましたが、以前の企業などによって1953年に富士重工業を興し、1955年にスバル1500が開発を行ない1958年にはスバル360を発売し大ヒットをしました。1955年に元の会社達6社が集まって誕生した経緯を踏まえ、社内公募によってプレアデス星団をイメージした6つの星のロゴが作られ、スバルというブランドが生まれた瞬間です。実際にはギリシャ神話のプレイアデスは7姉妹と伝えられるのですが、そのうちマイアがスバル450のアメリカ輸出用の名称として使われ、3代目となるレオーネのスバル発売30周年記念特別仕様車の名称として使われました。他にも、アステロペーがスウェーデンのボルボと共同開発した観光バスの名称として、エーレクトラーが1994年からスバルのモータースポーツ部門であるSTIのアルミホイールの商品名とインプレッサS201 STIバージョンが2000年に発売されたときのパイロットモデル名として使われています。さらに、北アメリカ向けのスノーモービルの商品名としてケライノーがケレーノとして、アルキュオネーは英語読みのアルシオーネとしてスバルの車名として、メロペーは2009年に販売を行なった天体望遠鏡の名称として使用されましたが、最後のターユゲテーはまだ使用されていません。